風の歌を聴け

『風の歌を聴け』は長編小説で、村上春樹のデビュー作品。
1979年に群像新人文学賞を受賞し、講談社より刊行された。

作品のあらまし

1978年、29才になった主人公が、かつての学生時代の思い出を振り返って語る、という形式になっている。
作中で主に語られるのは、1970年8月18日から26日までのこと。

主人公の「僕」と友人の「鼠」は行きつけのジェイズ・バーに通い、ビールを飲み干す日々を送りつつ、いろいろな話をする。
鼠は僕に何か相談したいことがあったようだが、それを切り出せないうちに時間が過ぎていく。
そんな中、僕は小指のない女の子と知り合い、いっとき心を通わせかけるが、やがて女の子はどこへともなく消えていってしまう。

筋だけを紹介すると、このような簡素なものだが、そこに様々な、断片的なエピソードが絡んでくることで、時のうつろいのはかなさが表現されている。

この作品は『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』へと登場人物や設定が受け継がれており、「鼠3部作」と呼ばれる作品群の、第1作にもなっている。

その観点から見ると、後に発生する「僕と鼠のすれ違い」というテーマが、すでにその萌芽を見せている。

舞台は港町だが、村上の故郷である神戸がモデルになっていると思われる。

タイトルについて

応募当時は別のタイトル『Happy Birthday and White Christmas』をつけていたが、編集部より変更を要請され、現在のタイトルに変わった。

変更を求められたのは、カタカナが多すぎる(英語が多すぎる)というのが理由だったとのこと。
特に気に入っていたタイトルでもなかったので、村上は変更に応じている。
(『村上さんのところ』にそのような記述がある)

『風の歌を聴け』というタイトルは、カポーティの短編にある「なんでもないことを考えよう、風のことを考えよう」という一文にインスパイアされ、つけられている。

ちなみに、当初のタイトルは表紙に小さく記載されている。

執筆のスタイル

当時、村上はジャズバーを経営しており、店を閉め、家に帰ってから夜中に1時間程度を費やし、こつこつとこの小説を書いていた。
この作品は断片的な文章を組み合わせた構成になっているが、村上の生活環境が反映された結果のスタイルなのだと言える。
執筆期間は数ヶ月程度であったらしい。

そのあたりを気にしてか、優れた文章を読みたければ、奴隷制度のおかげで労働をしなくてすみ、創作に専念できた古代ギリシャの詩人たちの作品を読めばいい、といったことが冒頭に書かれている。

このようなスタイルでよい作品が書けるのか、疑問に感じるところがあったのだろう。

当初は英語で文章を書き、それを日本語に訳すというスタイルで書かれていた。
これは村上が、既存の日本文学の文体では、書きたいことが表現できないと感じていたことによる。
独特の文章スタイルを模索する試みは、処女作から始まっていた。
(『職業としての小説家』にそのような記述がある)

作品をひとまず書き上げたものの、できばえはいまひとつで、最初に読ませた妻からの評価は低かった。
(その後もずっと、村上は書き上げるとひとまず妻に読ませ、評価を聞いて修正を検討する、というやり方を続けている)

評価がかんばしくなかったため、時間をかけて書き直し、いったん構成をばらばらにして、時系列を入れ替えることで、不思議な動きが出て面白くなった、のだそうだ。
(そのあたりの事情は心理学者・河合隼雄の対談集『こころの声を聴く』に詳しい)

以後の作品も、村上は初稿を書き上げてからかなりの期間を費やし、数度にわたって書き直していると発言している。
書き直しのプロセスこそが、執筆において一番「おいしいところ」であるそうだ。

村上は自身を「天才ではない」「特殊技能を持った普通の人」と評しているが、そのように努力を重ねることで、作品を仕上げているからこそ出てくる発言なのだろう。

表紙について

表紙の絵は、当時ガロで人気になっていた佐々木マキが担当している。
村上は佐々木の大ファンだったので、自分から提案して決めたのだが、編集者は佐々木を知らなかった。
抽象的な絵柄は、登場人物たちの無名性が高いこの作品に、よくマッチしていると思われる。

小説を書くきっかけ

村上は、自分にはものを書く才能はないものと思い、バーの経営者として生活していた。
バーの経営が軌道にのり、生活が落ち着き始めた1978年、村上は神宮球場にヤクルト戦を見に行く。
そこでビールを飲みながら観戦していると、デイブ・ヒルトンという選手が二塁打を打った。
その瞬間、村上は突然小説を書こうと思い立ち、万年筆と原稿用紙を購入し、執筆に取り組むことになる。

その時の情景がなにかしら村上の心を刺激し、いまの自分には小説が書けるかもしれない、という啓示を与えたようだ。
それが正しかったことは、翌年に『風の歌を聴け』が世に出ることによって、証明されることになった。

村上はこのことについて、小説を書くには身にしみるような実生活の経験が必要で、それが不足していたから何も書けなかったのだろう、といったことを書いている。
(エッセイ集『やがて哀しき外国語』にそのような記述がある)

バーの経営者として借金を背負って忙しく働き、ある程度の成功を収めるまでの経験を積んだことで、村上は初めて小説が書けるようになった。
そのように自分が変化したことを、仕事から離れ、リラックスできる野球観戦中に、ふと発見した、ということなのかもしれない。

このような不思議な感性は村上の作品にも反映され、ファンタジックな要素が散りばめられる要因になっていると思われる。

デレク・ハートフィールドについて

デレク・ハートフィールドは作中に登場するアメリカの作家で、作品の一部が引用されている……のだが、この作家は実在の人物ではない。

経歴や作風から、「英雄コナン」シリーズで知られるアメリカの作家「ロバート・E・ハワード」がモデルなのではないかと言われている。

作中には、墓参りをしたとまで書かれているため、実在の作家だと誤解する読者が多い。

このために図書館に「デレク・ハートフィールドの作品が読みたい」と、問い合わせが来ることがしばしばあり、司書を困惑させたというエピソードがある。

作品の入手

文庫本や電子書籍が発刊されているため、容易に入手できる。

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